雑-ZAKKAN-感

店舗デザイン会社代表による「店舗デザイン」に関係あるような・・・ないような・・・本や映像などの日々の雑感

画家が愛するというコト。

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『感想』KIRIN ~美の巨人たち~ 11/15 岡田三郎助「支那絹の前」(TV)

 

私は「美の巨人たち」をかれこれ15年程観ていると思います。

ちょっと調べたらどうやら2000年からの放映らしいので、
ほぼ全て観ているといっても過言ではないようです。

 

美の巨人たち」って何?という方の為に少しご説明すると、
テレビ東京でやっている番組で毎週土曜日の放映です。
絵画や彫刻や建築を毎週1つ取り上げて紹介していく番組です。

 

基本的には録画して観ているのでアップが遅くなることと思いますが、
感想なんかを書いていこうかなぁと思います。

 

さて、今回の1枚は【岡田三郎助「支那絹の前」】

 

  

岡田三郎助といえば美人画ですが、今回の作品は「妻」を描いた作品です。
岡田三郎助の描く女性は基本的に美人です。
美人画が有名な方ですから当然と言えば当然ですが、
当時の「男性の理想像としての女性の美しさ」を描く画家というイメージですね。

 

ところが、この「妻」を描いた絵はなんだか違うのです。

 

簡単に言えば「ぶすっ」としています。
憂いを帯びたとかそんなものでもなくて、とにかく「ぶすっ」としています。

 

現に妻はこの絵がとても嫌いで、この絵の完成後別居という形になります。
この絵ばかりが原因ではないようですが、この絵も一因であるようです。

 

では、なぜ岡田三郎助さんは「妻」をそういう風に描いたのでしょうか。
彼も「妻」が嫌いだったのでしょうか。
ところが、彼は別居後、妻の絵を生涯アトリエに飾っていたそうなのです。
そして、死後二人は同じお墓で眠っております。

 

彼の妻「岡田八千代」さんのwikiにはこうありました。

 

「別居生活は三郎助が亡くなるまで続いた。」 出典:岡田八千代 - Wikipedia

 

亡くなるまで別居して、亡くなった後は共に生きたのでしょうか。
なんのこっちゃと思いますが、画家の夫婦とはそういうものなのかもしれませんね。

 

彼が描いた「妻」は、その他の女性を描いた時とは確かに「違った」のです。
それが、傍からみて悪い方向に「違った」としても、それは確かに他とは「違った」。
その「違う」ということが心底重要なんだと画家は思うものなのかもしれません。
それが「画家が愛する」というコトなのかもしれません。

 

とか言ってると世の女性に怒られそうですが、
私は「画家」ではありませんし、世の大抵の男性は「画家」ではありませんので、
いざ「妻」を描く機会がありましたら、最大限に美しく描いていきましょう!!

 終り。

  

 

サウンド・ミュージアム「美の巨人たち」(CCCD)

サウンド・ミュージアム「美の巨人たち」(CCCD)

 

 

 
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